複雑なゲームはつまらない

最近、Nintendo Switchで息子とNintendo onlineで遊ぶことがよくある。これではNESやSNES、つまりファミコンやスーファミのゲームで遊ぶことができるのだ。とうぜん、今のゲームと比べたらグラフィックでも音楽でも、ゲームシステムでも今のゲームとは比較にならないぐらい古く、そして単純なものだ。 しかし、息子はこれを非常に楽しんでいる。ゼルダの伝説にいたっては、最新作よりもファミコンやスーファミのほうが面白いとはっきり言っている。私も実は同意見で、懐古主義だと批判されても、やはり昔のゲームは面白い。 昔である、ということに価値があるのではなく、むしろ単純さにこそ価値があると思うのだが。正直、人間が面白いと感じることにさほど複雑性などいらないのではないかと思っている。 例えば私はドラクエやFFなど両方とも5あたりが複雑性による面白さが飽和したあたりだと思う。これ以上複雑になるとつまらないが、あそびかたに幅があるギリギリのラインだ。もっというと、実は私はドラクエなんかは2が一番面白いと思っていて、前述のゼルダもいまだにディスクシステムの初代がベストだったりする。 これを自分は「バギ」理論と勝手に定義している。これはFC版のドラクエ2で、ややマニアックではあるが自分と同じ40代のFCドラクエ世代ならば間違いなく通じてくれると思うのだが、序盤でようやく仲間が3人揃うぐらいのタイミングで「バギ」という魔法を習得する。これは、同じグループの敵にダメージを与える呪文で、物語全体の中では決して強力なシロモノではないのだが、シリーズ初の、グループに攻撃できるというその強さ・便利さに、多くのプレイヤーは感動を覚える。なんせ、この魔法を覚えるまえは1匹1匹チマチマと殴っては20とか30のダメージを与えるのがせいぜいで、相手が3匹4匹ともなればタコ殴りされ教会送りにされてしまう。 そんな中、このバギを覚えることで圧倒的に戦局を有利に運ぶことができるのだ。正確な数字は忘れたが、たしか4匹いても25とか30とかそのぐらいのダメージを全部に与えるわけだから。 この「一気に強くなる」という感覚がRPGのレベル上げやじゅもん習得の醍醐味であり、面白さなのではないかと思う。ゼルダの伝説でいえば、ホワイトソードからマジカルソードに切り替わるときのような、今まで苦労していた敵を一発で薙ぎ倒すような感動が大切なのだ。 昔のゲームというのは容量の関係もあり、どうしても意図的にか偶然の産物か、この段差が大きいのだ。グラディウスでいえばオプションという都合の良すぎる自身の分身が攻撃をしてくれてさらに無敵である、こういうほどよく不条理なまでの段差というのがプレイヤーを喜ばせることができる。

中心極限定理

ブログもTwitterのように、短ければ継続できるかもしれない。そうだ、とりあえず毎日、必ず少しでも書こう。 今日は中心極限定理について。母集団がどんな分布でも、サンプル数nをめちゃくちゃ大きくすれば正規分布にほぼ近づいて行くという性質だ。なんて面白い性質だろう。

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